カテゴリー「仏像」の5件の記事

2008年6月18日 (水)

祈りはるか

子どもの頃は、仏像なんかまったく興味ありませんでした。
社会科の授業でその名を見る以外は、日常的に触れる機会は皆無。仏像=暗くて辛気臭いイメージしかありませんでした。
ですから、中学生のとき、修学旅行の行き先について、奈良京都方面か九州かでアンケートが回ってきたとき、迷いなく「九州」にデカ○をつけましたし、晴れて行き先候補から奈良・京都が消えたときには、躍り上がって喜んだものです。

それが、10年後にはどっぷり仏像好きの海に浸かるようになるとは。
人間の嗜好とは、分からないものです。

 
初めて行ったお寺は、奈良の東大寺でした。
主人と結婚後、長期の休暇には必ず大阪へ帰省するようになってましたので、せっかくだからあの有名な奈良の大仏くらいは拝んでおこうと。京阪神でひとくくりにされるその地の利を生かして、行ったことのある観光地をひとつ増やそう程度の感覚で、電車に揺られていたのを覚えています。もちろんこのときの仏像への関心の薄さは、子どもの頃と大差ない状態でした。

大仏は、拝観するのは初めてでしたが、教科書や資料集でさんざん目にしていましたし、また自分の中にイメージとして完全な形が出来上がっていましたから、いまさら真新しい印象もなく、「ああ、ほんとにでかいな」という感想がぽろり口から漏れただけでした。
ところがその後です。雷に打たれたような衝撃を味わったのは
のちに振り返って
「あのとき、あの仏像に出会っていなければ、恐らくこんなにも仏像を好きにはならなかっただろう。」
と何度となくつぶやくことになる「あの仏像」
それこそ、東大寺に来たついでにここも「寄っとく?」と、ほんの軽い気持ちで足を踏み入れた、東大寺三月堂の本尊、不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう) でした。

この仏像についての思い入れは、かつて仏像カテゴリの中で十分語りましたので、ここではもう繰り返しませんが、頭のてっぺんからつま先まで、一本の電流が走りぬけた感覚は、今でもアリアリと残っています。

それからです。仏像への興味が体中に満ち溢れ、とりつかれたように、さまざまな画集や入門書を紐解き、時代の変遷に伴う様式の変化だとか、仏像の種類(如来→菩薩→明王→天)や、形の意味だとか、そういった諸々の鑑賞に必要な知識を得ていきました。
そして、大阪への帰省のたびに、奈良・京都へ足を運んでは、写真で見た仏像を実際に眼におさめ、さらに感動を深くしていったのです。

これまでめぐり合ってきた仏像の数々。どれも素晴らしいものでした。お寺の名前を挙げ始めたらきりがないくらいです。
それに、二度、三度と訪れるたびに、また違う感興が呼び起こされて。常に変化し続ける存在であるともいえるでしょう。
阿修羅像なんて、なんど拝んでも、そのとき最高の感激で胸をいっぱいにすることができますから。
また、すでに朽ち割れて、名すらもはっきりしないかつての仏像。木片になっとてしまった今でも、当時の祈りのよすがになり続けたその慈しみあふれねる輪郭には、そっと手を合わせてしまいます。

宗教に疎くても、その前に立てば自然と、怒りとか苦しみとか哀しみとか、その他諸々、怨嗟の騒音がすぅっと掻き消えてゆくのを感じます。あとは静かにひた寄せてくるあたたかな思いに心をまかせるのみ。
そうすると、見えてくるもの。聞こえてくること。

生きていることへの喜び、生かされていることへの感謝

ありがとう  ありがとう  ありがとう

いつも見守ってくれてありがとう…

 

今年は、近畿三十三ヶ寺のご本尊がいっせいにご開帳になる年だとか。
長いときを経て、時代を見守り続けたこれらの仏像。頭を垂れ、そっとまなざしを伏せて、荘厳と静寂に満ちたひとときを過ごす。そんなゆとりを日々の中にもてれば、もっと豊かな心持で未来に向き合える、そんな気がします。

法隆寺の写真を見て、つらつらと思い浮かんだ仏像にまつわるお話でした。

【PM6:15】

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2008年1月27日 (日)

掃除の心

とある本によると、今年は水周りを清潔にするのが吉だそうです。
水周りと言うと、
トイレ、お風呂、洗面所、台所…
毎日頻繁に使用するところですね。

さて、この水周りを守護し、不浄を払うとされているのが
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)
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最近の家屋ではどうか知りませんが、私の実家では、台所と洗面所、そしてトイレにはこの「烏枢沙摩明王」のお札が貼られていました。(と記憶しています)






明王と言うと、不動明王や愛染明王、孔雀明王が有名ですが、この烏枢沙摩明王は名前こそマイナーかもしれませんが、最も生活に関わっている明王だといえます。
そして、こんな憤怒の相をした明王に守護されなければならないほど、昔の人にとって水周りは悪疫に犯されやすい場所だと考えられていたのでしょう。

いまは昔に比べて、衛生事情もよくなりましたし、水周りの汚染がそのまま人体の健康を脅かすこともなくなりました。
ですが、水周りは毎日の生活とは切っても切り離せない大切な場所。自分のためにはもちろんのこと、家族の健康を願いながらキレイにすることは、家族の幸福をかたちづくる一つの方法かもしれません。

キレイにしようとする心がキレイな場所を生み、キレイな場所はまた健やかな心を育む。

掃除によってよい循環が生まれるといいですね。

【PM7*30】

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2008年1月 9日 (水)

守り本尊

 
今日は、干支にちなんだ「守り本尊」のお話について、ちょっとお耳を拝借。
(やっと仏像カテゴリに記事が増える♪)

と、その前に。
皆さまはもう七草粥は召し上がりましたか?
私も、少し日にちはズレましたが、今朝の朝食に七草を入れて炊いた雑炊をいただきました。
本当は7日の朝に、お粥を炊くんですよね(…とラジオで言っていた)。
お正月休みのあいだずっと、贅沢な食事とやや過熱気味の食欲とに晒された胃には、素朴な七草の味わいがとてもやさしく感じられました。
子どもも、最初はこの葉っぱばかりの雑炊を嫌がるかと思ったのですが、学校で七草粥のことを聞いていたらしく、「ああ、葉っぱのおかゆね」と、すんなり匙をとってふうふう。アツアツのそれを蛸のような口をして食べていました。
一方、オットには「朝から雑炊?」と少し不評でした。
(メタボ寸前のアナタにこそ必要なメニューです!!)

ただ、ですね。そのあと続けて飲んだ青汁との相乗効果か。午前中ずっと、口の中に菜っ葉味が残っていました…(ぐぬぬ…)。

さて、話は冒頭に戻ります。
1月6日(日)の記事で簡単に触れましたけども、守り本尊とは、それぞれの干支ならびに方角を守護する仏さまのことです。
それを簡単にまとめたのが下の図ですが。
Jml






 
これをご覧戴くと、それぞれ自分の守り本尊がどの仏さまであるか、お分かりいただけるでしょう。
参考までにうちの家族で見てみますと
子年生まれの私は千手観音菩薩
丑年生まれの主人は虚空蔵菩薩
辰年生まれの子どもは普賢菩薩
となります。

これらの仏さまは、様々な力でその干支生まれの人を守護してくれる仏さまですので、普段から身の回りに置いておくとよいと言われています。
ただ、仏像や仏画を身辺に置くというと、つい信仰の有無とか、深刻に考えてしまいがちですが
Photo
こういうのでも
良いようですよ。


 
あと、心を癒すあたたかな絵柄の仏画などもありますしね。拝むことが、もちろんいちばん大切ですけれど、守り本尊とは、身近で楽しく付き合うものだと、私が持っている本には書いてありますから。上の図を参考にして、ご自身の守り本尊に由来するなにかを見つけてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、私はこういうのを持っています。
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写真が微妙で分かりづらいかと思いますが、白檀に彫られた千手観音菩薩のお守りです。


これを買ったのはもうかれこれ10年ほど前になりますか。京都の広隆寺で、私がガラスケースの中のこれをじー…と覗き込んでいたとき、一人のお僧さんがにこやかに声をかけてくれました。そして、勧めてくれたのが、このお守りです。
お値段は8000円。
聴いた瞬間はさすがに「高…ッ」と腰が引けてしまいましたけど、そのときお僧さんが
「普通のお守りは一年ごとに買い換えないといけませんが、これだと一生のお守りになりますよ」と。
その一言で、心を決めました。
以来ずっと、日々のおでかけ(仕事)はもとより、出張に行くときも、海外へ旅に出るときも、必ず持っていくようにしています。
ご利益のあるなしにかかわらず、出かけるときにこれを鞄に入れることによって「出先では気をつけよう」という心の礎にはなりますし。
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(普段は蓋を閉じて、袋に入れている)

 
日々の生活の中で、大切な存在を常に心の中に置いておけるという意味で、守り本尊の役割は十分果たされていると思います。

そんなわけで。
初詣で、お守りをあれこれ買い求めるのもよいですが、一生のお守りとして守り本尊を身につけるというのもまた味わいのあるひとつの方法ではないかなと、そんなふうに思うすじょうゆです。

それでは、寒い夜。
夜更かしなどして風邪など召されませんよう、温かくしてお休みください。

再見。

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2007年10月14日 (日)

心の一仏

今日は、仏像のお話です。
初めてブログを立ち上げたときに、
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興福寺の「阿修羅像」について、少し思い入れを語らせていただきましたが。
そもそも私が仏像を好きになるきっかけとなったのは、ある仏像との劇的な出逢いがあったからです。
 
それが、
「不空羂策観音像」
(ふくうけんさくかんのんぞう)。

東大寺法華堂の本尊です。
 
初めてこの像の前に立ったときは、初めてなのにどこか懐かしい…、まるで私の訪れをそこで待ってくれていたかのようなそんな思いすら芽生えて、体の芯が熱くなったのを覚えています。
私にとってはまさに出逢うべくしてであった仏像でした。
 
法華堂は東大寺金堂から少し離れた山手にあるため、参道の賑わいからは遠く、とても静かなたたずまいです。それほど広くない堂内には、仏像が16体安置されています。
中央の一段高い位置に堂々とした体躯を聳え立たせているのが本尊「不空羂策観音像」
(ふくうけんさくかんのんぞう)。

両脇には「(伝)日光・月光菩薩像」が両手を胸前に合わせて厳かに祈りの姿勢をとり、その三尊を取り囲むように 
四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)
金剛力士像(阿形、吽形)
帝釈天、梵天、弁財天、吉祥天
不動明王、地蔵菩薩

が配置されています。
(執金剛神像は秘仏のため、北面の厨子の中に収められている)
この16体のうち、14体が天平時代の像立だといいますから、その時代を象徴する美の粋が一堂に会しているわけです。
Photo_4  
 

 

 

 

 

 

堂の中に一歩入ると、そこは「ほとけの世界」。
しんしんと足元に積もる静寂は安らぎに満ち、訪れる人々の緊張がふっ、と緩むのが分かります。
本尊に向き合うと、遥か遠くに向けられていたまなざしがすうっ…と自分の身上に注がれ、まっすぐ心に入り込んでくるような感覚に包まれます。
すると、自分の中にあった雑多な声が掻き消え、あたたかな安心感で満たされます。強い自分も弱い自分もすべてひっくるめて、全てを見守ってくれている、そんな慈しみを覚えるのです。
「不空羂策」(ふくうけんさく)の「羂策」(けんさく)は、鳥獣を捕らえる網、「不空」(ふくう)は虚しくないの意。つまり、
手に持つ「羂策」で、悩める一切の衆生をもれなく救う慈悲の仏が「不空羂策観音」なのです。
この仏を仰ぎ見ていると、その名前の由来となった「ほとけの意思」を全身で感じることが出来ます。
 
そうして、ひとときをその仏像の前で過ごしたあと、堂を離れるときには自然と力強い思いが体中にみなぎっているのを感じます。歩みを進める足の裏に力がこもり、「よし、また頑張れる」という決意が背筋を伸ばしてくれます。
ほんの少し肩をひねって後方をふたたび仰ぎ見れば、いっそう優しく穏やかな表情で見送ってくれてるような、そんな気すらします。
 
それ以来、私の心には常にこの仏の姿があり、奈良公園に来たときには必ずこの堂に立ち寄って拝観するようにしています。

また、会いにくることが出来ました、という感謝と。
今日まで平穏無事に過ごすことができました、というお礼の気持ちを伝えるために。

前向きに未来に向かって歩こうとするときに、内なる勇気を与えてくれる存在。
私の心の一仏はまぎれもなくこの「不空羂策観音像」です。

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2007年8月27日 (月)

*初めてのブログ!

こんにちは、すじょうゆです。
まずははじめまして、ですね。

プロフィールのところにもちょこっと書かせていただきましたが、生来の引っ込み思案で恥ずかしがりやなわたくしが、このたび思い切ってブログを始めることにしました(拍手)。
これから気まぐれに、日常の出来事や趣味の中国語、はたまた大好きなアニメや某王子のことについてのんびり綴っていきたいと思います。
また、絵を描くのが好きなので、イラストも時々UPできたらいいな…て思います。
どうぞよろしくお願いします。

ではでは、今日は第一日目ということで、一番近い話題 「夏休み」のことについてお話しましょう。
今年は8月10日~15日までお休みを取って、ダンナの実家である大阪へ帰省しておりました。帰省中はほとんど家の中でだらだら過ごすことが多いのですが、今年の夏は違います。

 

意気込みが違う!
心意気が違う! 
テンションが違う!
フットワークが違う!

 

というわけで。奈良の興福寺へ阿修羅像を拝みに行ってきました。
わたくし、仏像を見るのが好きでして。20代の頃から精力的に奈良や京都のお寺を回ってきました。
興福寺にももうかれこれ5回くらい足を運びましたけれど、阿修羅像は見るたびにその造形のこまやかさ、たたずまいの美しさに心がすう…っと引き込まれます。
これこそ日本を代表する美の象徴だなと思わずにはいられません。
この日もたくさん陳列されている諸像のなかで、ひときわ静かで熱いまなざしが注がれていました。
仏像にあまり造詣のない人でさえがふと歩みを止める、そんな清楚で優美な雰囲気がそこにはありました。
これまでに拝観した仏像はたくさんありますが、この阿修羅像は特に思い入れの深い仏像のひとつです。

 

さて、帰り道。
ぶらぶらお土産やさんを覗いておりますと、
なんと仏像のミニフィギュア発見!!
現代仏像シリーズと銘打って、食玩サイズのフィギュアが8体並んでました。
その造りと彩色の見事さといったら、
仏像好きにはたまらない精巧さで…。
思わず手を伸ばしかけました。
阿修羅像があれば、迷わず買ったんですけどね。
残念ながらシリーズの中にはなくて。
結局、ここはぐっとがまん。
担当者サン、ぜひ次のシリーズには阿修羅像を
出たら絶対売れるよ。
私がたくさん買っていろんな人に配りますから(笑)
ああ、でも愛染明王は欲しかったなぁ…。

 

記念すべき初ブログが、のっけから「仏像」(正確には阿修羅)に熱くなってしまいました。今後もたぶんこのような「」が炸裂するかと思います。
今日はまだおしとやかなほうです…。
だって阿修羅像に関しては一応、文化財のお話ですから…。
阿修羅といえば…もうひとり……。
いえいえ。今日はこの辺で置くとしましょう。

それではまた後日、お会いできる日を楽しみに。
すじょうゆでした。

再見。

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